音更山道碑おとふけさんどうひ

外観音更山道碑の画像
住所上士幌町字黒石平75番地

造材事業のために多くの囚人が行った難工事を記念して建てられた碑で、町文化財指定。鱒見トンネル下手側にあります。

プレートの解説文

国道糠平街道は明治25年釧路監獄の囚人の斧によって誕生する。囚人はユウンナイ(糠平湖底)の大樹海を伐採し十勝開拓の建設資材にあてたのである。

当時の道といえば奇岩と断崖続く激流の縁に刈り分け道しかなく、囚人たちは背に食糧と作業具をかついで前進し冬は寒さをついて伐木にあたり、夏は音更川の水運を利用して越中渡場(音更町木野市街)まで流送するのであった。

大正7年十勝監獄はユウンナイまでの約16キロの道路開削工事にあたるのである。糠平街道は当時「音更山道」と呼ばれ、述べ6,000人の囚人を酷使し3ヶ月の月日を費やして完成したのである。

完成記念碑の碑文は看守長が書き、誰が彫ったのか、なかなかの達筆である。かれらが去ってから糠平温泉は発展した。糠平ダムの出現によって音更山道の一部は水没、また碑の足もとを流れる音更川も当時とは比較にならぬ”小川”となり見る影かげもない。だが、かれらも見上げたであろう見事な屏風岩だけは風雪にさらされながらそびえ立っている。

帯剣と銃の警備のもとに、黙々と汗を流したかれらの音更山道はいま脈々といきている。